2007年12月13日

松崎町について

comusoの居る阿倍野区松崎町はその昔天王寺村でした、かつて大阪府東成郡にあった村で現在の大阪市天王寺区・阿倍野区の大半と、西成区東部および浪速区東部の一部にあたる。近世以前の歴史ははっきりしないが、江戸時代には江戸幕府の直轄領となっていた。明治時代初期までは天王寺村と阿倍野村の2つの村に分かれていたが、その後合併し、1889年(明治22年)に町村制に基づく天王寺村が成立した。
その後1897年(明治30年)4月1日、大阪市の第一次市域拡張がおこなわれた。これに伴い天王寺村は、大阪鉄道(現在の大阪環状線)の線路より北側の地域が大阪市に分割編入された。この時大阪市に編入された地域は南区に属し、のちに天王寺区(一部は浪速区)となった。
残った南側の地域は、東成郡天王寺村として引き続き存続した。村役場は天王寺村大字阿部野字南阪田(現在の大阪市阿倍野区晴明通)におかれた。1897年の村分割直後には人口1300人程度だったが、その後人口が急増し、1920年代には人口5万人を超える巨大な村となった。
1925年(大正14年)、大阪市の第二次市域拡張がおこなわれた。その際に天王寺村は、全域が大阪市に編入されて消滅した。1925年に編入された旧天王寺村の地域は住吉区に属し、のちに阿倍野区・西成区に分割された。
松崎町2丁目に残る阿倍寺跡に、一本松とよばれる大きな松の木が、天高くそびえていたと伝えられています。松ヶ崎と呼ばれた時代も経て松崎町の由来のようです。第二次世界大戦までは高級住宅地と畠田んぼでした。
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posted by comuso at 09:48| Comment(14) | TrackBack(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月12日

まず手始めに庚申信仰について

庚申信仰は十干(かん)十二支(し)の暦のうえで、60日ごとにある庚申(かのえさる)の日に行われる信仰行事で、中国の不老長寿を目指す道教の教えのひとつ、庚申待ちが起源といわれている。

 人の体内には、三尸(さんし)と呼ばれる虫がいて、庚申の日の夜、人が眠ると、この虫が体内から抜け出し、その人の行状を天帝に知らせに行く。知らせを受けた天帝は、行いの悪い人の寿命を縮めてしまうというのだ。そこで、長生きしたければ、三尸の虫が天帝の元へ行かないように、庚申の日は、一日中眠ってはならない。この教えが、庚申信仰へとつながっていった。

 わが国では、平安時代以降に、貴族などの間で行われ、その後、仏教や神道などと結びついて庶民の間に広がり、江戸時代には最も盛んであった。

posted by comuso at 17:05| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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