その後1897年(明治30年)4月1日、大阪市の第一次市域拡張がおこなわれた。これに伴い天王寺村は、大阪鉄道(現在の大阪環状線)の線路より北側の地域が大阪市に分割編入された。この時大阪市に編入された地域は南区に属し、のちに天王寺区(一部は浪速区)となった。
残った南側の地域は、東成郡天王寺村として引き続き存続した。村役場は天王寺村大字阿部野字南阪田(現在の大阪市阿倍野区晴明通)におかれた。1897年の村分割直後には人口1300人程度だったが、その後人口が急増し、1920年代には人口5万人を超える巨大な村となった。
1925年(大正14年)、大阪市の第二次市域拡張がおこなわれた。その際に天王寺村は、全域が大阪市に編入されて消滅した。1925年に編入された旧天王寺村の地域は住吉区に属し、のちに阿倍野区・西成区に分割された。
松崎町2丁目に残る阿倍寺跡に、一本松とよばれる大きな松の木が、天高くそびえていたと伝えられています。松ヶ崎と呼ばれた時代も経て松崎町の由来のようです。第二次世界大戦までは高級住宅地と畠田んぼでした。
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